明日は我が身のサポートを・・。
認知症の人と接するときの心がまえ
実は、認知症の症状に、一番早く気がつくのは本人です。あれ?何か変かも?と普段何気なくやってきていたことが失敗を繰り返すようになり、うまくいかなくなることが徐々に増え始めます。お釣りの計算や、家事など、身近なことで感じるようになります。
特に、認知症特有の言われても思い出せないことが度重なると、多くの人は自分は認知症になったのではないか?と・・・。不安を感じてしまい、そのことを周りからいろいろ責め立てられると、孤立感や心配して落ち込んだりして、うつ病のようになってしまいます。また、自分が忘れているのではなくて、周りが陥れようとしているのではないか?と妄想的になるったりするのは、自己防衛の一つで自分が都合のように解釈してしまい周りとの関係が上手くいかなくなっていったりします。
現実に、家族が認知症の兆候があるのではないか?と受診を勧めるも、私はもの忘れなんかない!病院なんかに行く必要はない!と言い張り、家族を困らせて病院に行くタイミングを逃してしまいます。
早く病院に連れて行き、はっきりとした判断で、本人を支えていきたいと願う家族にとっては、本人のこうした頑な否認は大きな困惑となります。
私が認知症だなんて!!というやり場のない怒りや悲しみや不安から、自分の心を守るための自衛反応やさまざまな周辺症状が現れはじめます。認知症特有のいろいろな症状の裏には、何かしらの理由や原因があるということを周囲の人が理解しようとすることがとても大切だと思います。それには、皆さんが、認知症について詳しく知り、新しい情報を皆で共有することが不可欠ではないかと思います。
超高齢社会の今、だれもが認知症になる可能性があります。認知症にならないように自助努力し、もしも大切な人や自分が認知症になっても、認知症という病気のことを理解したうえで、自分だったらどう生き抜くか?という視点で考えて、認知症の人にできるより良い支援を考えていくことが大切だと思います。「認知症という病気になった人」の本当のこころを理解することは、容易ではありません。しかし認知症の人の隠された悲しみの表現をできるだけ理解して、優しさのシャワーを浴びせてあげることはできるのではないかと思います。
たとえ忘れてしまっても、その一瞬一瞬の良かった!楽しかった!嬉しかった!という幸せの体験は心の安定につながると思います。そういう心のつながりを持てる接し方を心掛けるようになると、少しは安心していられる時間が増えるのではないかと考えます。
そうはいっても、認知症を抱える家族の精神的な負担は十人十色・千差万別、マニュアル通りにはいきません。認知症を抱える家族が疲弊してしまっては、サポートどころではありません。そういうときには、同じ境遇の方との交流や、専門家の先生の意見をお聞きしたりして、介護者の息抜きやストレス解消の居場所が必要となります。
げんきの森はそういう意味でも、認知症を抱える家族の皆様にご参加頂き、ご家族さんの癒しの場所としての役割も担っていると思っております。何もできないけど、気持ちを共有し傍に寄り添える仲間を揃えておりますので一度ご参加してみてください。